「やっぱり、最初から分かっていた」
関係に疲れ果てたあとで、最初に感じた小さな違和感を思い出すことがあります。
あの言葉を聞いたとき、少し引っかかった。会ったあと、なぜか消耗していた。でも、はっきり説明できるほどの理由はなかった。
だから、自分に言い聞かせてきた。
「私が厳しすぎるのかもしれない」「もう少し待てば、分かり合えるかもしれない」
なぜ、最初に感じたことより、そのあとでつくった説明の方を信じてしまうのでしょう。
も く じ
Toggle「本当は優しい人だから」と待ち続ける
相手が抱えてきた痛みを知っている。優しくしてくれた時間もある。今は余裕がないだけで、いつか変わる気がする。
そう思うと、今つらいことが起きていても、簡単には離れられないことがあります。
相手の可能性を信じたい。その気持ちの中に、自分が受け取ってきたものへの思いや、関係を大切にしたい願いがあるのかもしれません。
ただ、未来を待っている間も、自分の毎日は続いています。
いま、私はこの関係でどう過ごしているのか。安心して話せているのか。無理を重ねていないか。
相手の未来を考える時間に比べて、今の自分を見つめる時間は、どれくらい残っているでしょう。
みんなが信じていると、自分の方を疑いたくなる
周囲の人は、誰も気にしていない。評判もよく、多くの人に支持されている。相手は迷いなく、自信を持って話している。
その中で自分だけが「何か違う」と感じると、うまく言葉にできない自分の方が間違っているように思えることがあります。
けれど、言葉にできなかったというだけで、その感覚をなかったことにしてよいのでしょうか。
自分の感じ方が必ず正しいと決める前にも、間違いだと片づける前にも、まだ確かめたいことが残っています。
「直感を信じて」だけでは、迷いが消えない
では、自分の感覚を全部信じればいいのか。
そう言われても、今度は「これは直感なのか、それとも怖がっているだけなのか」と迷うことがあります。
強く惹かれる気持ち。胸に残るざわつき。理由は分からないけれど、何かが違うという感覚。
普段ひとまとめに「直感」と呼んでいるものの中で、何が起きているのでしょう。
魂氣学®では、この問いを、自分という人間全体を認識する学びにつなげています。
なぜ、自分を信じる方が怖いのか
動画では、南みゆき自身が「相手はいつか変わる」と待ってきた経験から、自分の感覚を打ち消してしまう理由をたどります。
エンパスとして相手の痛みや可能性を感じ取ることと、自分を信じること。その間で、何が起きているのか。
「また同じところに戻ってしまった」と自分を責める前に、その繰り返しの奥を、動画で見ていきます。







