「覚醒したい」「本当の自分を生きたい」。その言葉に惹かれるとき、私たちは何を望んでいるのでしょう。
真理を知りたい。今の苦しさを終えたい。もう大丈夫だと思いたい。同じ言葉を使っていても、その奥にある願いは、一人ひとり違います。
けれど、覚醒する方法を探すことに夢中になると、「なぜ、それが欲しいのか」という問いは、置き去りになりやすいものです。
も く じ
Toggle「覚醒した私」になれば、安心できる?
自分なりに頑張ってきたのに満たされない。学んでも、人生がどこへ向かうのか分からない。そんなとき、「あなたはもう目覚めています」「特別な使命があります」という言葉が、救いのように聞こえることがあります。
安心を求める気持ちを、責める必要はありません。ただ、その言葉を聞いたあと、自分の現実を見る力は育っているでしょうか。それとも、もう一度同じ言葉を言ってもらいたくなっているでしょうか。
「覚醒した私なら、自分を信じられる」。そう思うとき、今ここにいる自分は、どこにいるのでしょう。
学びたいのか、正しいと言ってほしいのか
先を歩く人から学ぶことは、大切な経験です。私自身、本や人を通して、たくさんの叡智を受け取ってきました。
けれど、その人の言葉がなければ、自分の選択まで信じられなくなる。違和感があるのに、「この人が言うのだから」と引っ込めてしまう。そんな場面が重なると、学ぶための関係が少しずつ変わっていきます。
誰かの説明に納得したことと、自分の人生を自分で選べることは、同じでしょうか。心地よい答えを受け取るだけでは見えないものが、そこにあります。
その言葉の奥で、本当は何を求めているのか
「覚醒」という大きな言葉に、自分の願いをひとまとめにしていないでしょうか。欲しいものの輪郭が見えないままでは、何を手に入れればよいのかも分からなくなります。
本来の自分で生きたいのか。特別な存在として認められたいのか。誰かに「もう大丈夫」と言ってほしいのか。今のあなたに近いのは、どんな願いでしょう。
答えを急ぐ前に、その問いを自分へ返してみる。魂氣学®では、そこから自分自身を認識することを大切にしています。
「覚醒したい」の奥で、何が起きているのか
なぜ、安心を与える人と受け取る人の関係は強く結ばれるのか。そして、「覚醒した私」という自己像の奥では、何が動いているのか。
動画では、そのつながりを読み解きながら、私自身が「完全な霊的覚醒」を目指した理由と、今その言葉をどう捉えているのかをお話ししています。







