深い話を聞いて、腑に落ちた。これまでの出来事がつながり、ようやく理由が分かった。あの瞬間の安心を、今も覚えている。
でも、しばらくすると同じことで腹が立つ。同じ関係で我慢をし、同じように誰かの答えを探している。
分かったことは嘘ではなかったはずなのに、どうして同じ場所へ戻ってしまうのでしょうか。
も く じ
Toggle情報が増えた日、自分を見る時間は増えたか
動画を見て、本を読み、新しい言葉を覚える。学ぶことが日常になっていると、それだけで前へ進んでいるように感じることがあります。
けれど、次の説明を探す時間と、自分の反応を確かめる時間は同じではありません。誰かの言葉を上手に説明できても、今日なぜ断れなかったのかは、まだ分からないままかもしれません。
何を知ったかに加えて、その言葉で自分の何が見えるようになったのか。そこにも問いを置けます。
安心する言葉のあとに残るもの
「あなたはもう大丈夫」「すべて分かっている」。そう言ってもらいたくなる日があります。疲れているとき、安心できる言葉に支えられることもあるでしょう。
ただ、その安心のあとに、自分の違和感を話せるでしょうか。「まだ苦しい」と言えるでしょうか。分かった自分でいようとして、かえって言えなくなってはいないでしょうか。
一度の気づきを、自分を見なくてよい証明にしてしまうと、今日の小さな変化に気づきにくくなります。
垣間見たことの先へ
魂氣学®では、目覚めを一度の認定で終えるものとして扱いません。過去の大きな体験だけでなく、今の自分に対して問いを持てることを大切にします。
動画では、一瞥体験や臨死体験を覚醒の完成と捉えてしまうこと、情報に触れ続けながら自分から離れていくことを扱っています。
「私はもう分かった」という言葉のあとにも、見ていない場所は残っているのか。その問いを閉じずにいるために、続きを動画でお話しします。







