「あなたは、まだ頭で考えている」
そう言われて、聞きたかったことを飲み込んだ経験はありませんか。
相手の説明に、どこか納得できない。言っていることと、実際の行動が合わない気がする。けれど「考えすぎ」と言われると、その違和感を持った自分の方が未熟なのかと思ってしまう。
スピリチュアルを学ぶ中で、考えることが、本当の自分に還る邪魔のように扱われることがあります。
では、思考を止めれば、本当に見えるようになるのでしょうか。
も く じ
Toggle「考えすぎ」の一言で、何を片づけているのか
同じ不安を何度も考えて、疲れてしまうことはあります。まだ起きていない出来事を想像して、頭の中で同じ結論へ戻ることもある。
その苦しさを知っているからこそ、「もう考えなくていい」という言葉が、救いに聞こえることがあります。
ただ、その一言で消えてしまうのが、不安だけとは限りません。
本当は確かめたかったこと。説明の中に見つけた矛盾。自分の暮らしに照らすと、どうしても納得できなかったこと。
それらも一緒に引っ込めているとしたら、何が起きているのでしょう。
感じたことを、すぐ答えにしていないか
反対に、「私はそう感じたから」と、自分の感覚だけで結論を出したくなる場面もあります。
安心したから、この人の話はすべて正しい。強く心が動いたから、これは自分にとって絶対の答えだ。
心が動いたことは、自分に起きた大切な経験です。でも、その経験をどう受け取るかには、もう一つ問いが残ります。
私は、何に安心したのか。どの言葉に惹かれたのか。その感覚と、目の前で起きていることは、どうつながっているのか。
考えることを遠ざけた先で、感じたことまで丁寧に見られなくなってはいないでしょうか。
分からないことを、聞ける場所にいるか
学びの中で分からないことが生まれたとき、確かめる余地はあるでしょうか。
質問するたびに「まだその段階ではない」「頭で理解しようとしている」と返されると、やがて問いそのものを持ちにくくなることがあります。
相手を信頼することと、自分の中に生まれた問いを閉じること。その間にある違いを、見過ごしたくありません。
魂氣学®では、自分自身を認識し、現実の中で選ぶ力を大切にしています。
そのとき、思考はどこに置けばよいのでしょう。
「思考を超える」の先に残る問い
動画では、「思考は自分ではない」という言葉から、感じることと見抜くこと、そして覚醒という言葉の先まで、お話ししています。
「考えすぎ」と言われて引っ込めた、あの違和感。
それをもう一度見つめるとき、思考は邪魔になるのか。それとも、別の役割があるのか。
その続きを、動画で確かめてください。







