会えない。気持ちを聞けない。待っていても、約束がはっきりしない。
それでも「ツインレイには試練がある」と聞くと、苦しさに意味が見つかった気がする。
けれど、苦しいことは、その人が運命の相手である証明にはなりません。
試練という説明によって、変えられる関わり方まで変えずに耐えているなら、そこを見つめる必要があります。
わたし自身も、ツインレイとの関係の中で苦しい時間を通ってきましたが、相手からの言葉で大きな気づきを得られたこともありました。
大切なのは、愛する気持ちを否定することではなく、その愛の中で自分をどう扱っているかです。
も く じ
Toggle成長することと我慢を続けること
自分の未熟さに気づくのは、楽なことばかりではありませんよね。見たくなかった自分を見ることもありますから。
だからといって、相手の曖昧な態度や、自分の希望を話せない関係を、すべて成長のために必要なのだと受け入れる理由にはなりません。
たとえば約束が決まらず困っているのに、「私が不安を手放せばいい」と考えたり。
寂しいと言いたいのに、「求めるのはエゴだから」と黙っていたり。
すると、二人で扱うはずの問題まで、自分一人の修行になってしまいます。
自分の反応を見つめることと、相手の行動について話し合うこと。その両方があっていいのです。
相手の内側を説明しても関係は進まない
「相手は、愛が深いから逃げている」「本当は向き合いたいけれど怖いのだろう」。
そう考えたくなる気持ちがあるかもしれません。
ただ、本人が話していない気持ちは、こちらでは確かめられません。
以前、霊能者やスピリチュアル系の人に言われた言葉が頭から離れず、自分の気持ちより、その説明を信じて苦しくなっていた方もいました。
外側からの説明をどんなに増やしても、本人との会う約束や、関係についての合意が増えるわけではないですからね。
そこを曖昧にしたまま待ち続けると、休みの予定も、自分の希望を伝える時期も、相手次第になってしまいます。
耐えた年月が長いほど報われると、誰かが約束できるものでもありませんしね。
関係を通して自分へ還る
魂氣学®では、こうした出会いを、自分自身への認識を深める入口として見つめています。
わたし自身が、「相手が変われば私も幸せになれる」という位置から、自分が本当は何を感じ、何を望み、どのように生きるのかを認識してきたからです。
わたし自身、相手の気持ちはあれほど考えていたのに、自分がどう生きれば満たされるのかは、分かっていなかったんです。
そういう意味では、この出会いに感謝ではありますが。いやいや、はじめから教えておいてくださいよって話です笑
だから魂氣学®では、相手の人生を自分の望む形へ動かすことまで、自己認識の目的には含めていません。
相手を信頼することには、相手の選択を自分が決めないことも含まれています。そして、自分の人生の選択は自分に戻していくのです。
苦しさの先に選べる日常
目指すのは、関係の名前を聞いて一時的に安心することよりも、自分の希望を自分で認めて、暮らしに戻せる力を育てることです。
寂しいと感じたときに、それを「エゴ」で消さず、自分の言葉で伝えられる。困っていることを「試練」で片づけず、現実の問題として扱う。
関係を続ける場合も離れる場合も、その選択に自分こそが参加する。
もし、この出会いを「試練」と呼ぶなら、耐え続けることをゴールにしないでほしいのです。
わたし自身、相手を待つことに向いていた意識が、自分の人生へ戻ってきました。
愛する気持ちがあっても、自分を後回しにし続けなくていい。
その出会いを通して、本来の自分へ還っていく。
わたしにとって、そこに人生で最も大きな意味があったのです。






