「もっと大きな器を持つ人間になりたい」
私も、そう思っていました。
私にとって、それが「強くなる」ということだったんです。
人を理解して、受け入れて、許せる人。
ちょっとやそっとでは怒らない。
なかなか立派な目標に見えますよね。
実際、「なんで怒らないの?」と、よく言われていました。
器が大きいと評判でしたよ。
ところが、その私が、惨めさを感じていたんです。
あれ? 大きな器を目指していたはずなんですけど。笑
その「もっと」、どこまで続ける?
人を受け入れられないとき、「まだ自分の器が小さいんだ」と考える。
もっと理解しよう。もっと受け入れよう。
それでも苦しくなると、また自分の足りなさを探す。
でも、「受け入れられないことがある」という事実だけで、
自分の器が小さいと決めてしまっていいのでしょうか。
その採点基準を一度見てもいいんです。
ずっと自分にだけ、追試を出していませんか。笑
強くなろうとしていた私に、起きたこと
今回の動画では、「大きな器」を目指していた頃の私自身の体験と、
その後に起きた思いがけない反転をお話ししています。
手がかりは、「エナンティオドロミア」。
名前は難しいですが、遠い世界のお話ではありません。
もっと強くならなければ。もっと受け入れられる自分にならなければ。
そう頑張ってきた方へ。
その頑張りを、もう一段増やす前に。
私が何を勘違いしていたのか、聴いてみてください。笑







