大切な人が、これからのことを迷っている。
話を聞きながら、こちらには「こうしたらいいのに」が浮かんでくる。
でも、決めるのは相手だから。
そう思って「あなたが決めていい」と伝えたあと、その人が自分とは違う道を選んだら、どう感じるでしょうか。
も く じ
Toggle自分の望む答えを、待っていないか
たとえば、友人が新しい仕事に挑戦するか迷っているとします。
自分は今の仕事を続けたほうがいいと思う。友人は、考えた末に挑戦することにした。
そのとき、「好きにしたら」と会話を終わらせたくなる。
もしそう感じたら、何が残念だったのでしょう。
相手が心配なのか。自分の考えを選んでもらえなかったことなのか。
どちらも混じっているのかもしれません。
「あなたが決めていい」と言いながら、自分の望む答えを待っていることはないでしょうか。
答えが違っても、関心は持てる
見守ることには、相手の選択を尊重しながら、その人への関心を持ち続ける姿勢があります。
賛成できないことまで、賛成したふりをする必要はありません。
心配する気持ちが残ることもある。
けれど、意見が違うことと、もう話を聞かないことは、分けられます。
自分の考えに従うときだけ温かく接するなら、相手は何を選ぶかだけでなく、こちらの機嫌まで気にするようになるかもしれません。
その関係で、本当に聞きたかった相手の思いを、聞き逃してしまうこともあります。
違う道を選んだあとも
もちろん、見守るという言葉で、必要な助けや自分の責任を放り出してよいわけではありません。
引き受けている役割があるなら、その責任は残ります。
ただ、対等な大人同士でも、いつの間にか「私の言うとおりにしてくれたら安心」という関わり方になっていないか。
そこは、自分自身に問い直せます。
違う道を選んだあとにも、近況を聞ける。
うまくいかなかった話を聞いても、「だから言ったでしょう」で終わらせずにいられる。
相手が自分と同じ答えを出さなくても、会話は続けられる。
そんな関係を、大切にしていきたいのです。






