学んでいるのに、人の一言に腹が立った。
穏やかに受け止められなかった自分に、またがっかりする。
「まだエゴがあるからだ」と結論を出してしまうと、そのとき何が嫌だったのかは、分からないままになることがあります。
魂氣学®の自己認識では、学んだ言葉で片づけず、自分の中で起きていることを知ることを大切にしています。
も く じ
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学んでいる私なら、腹を立てないはず。
相手を受け入れられるはず。
いつも感謝できるはず。
そんな理想と比べて、自分に点数をつけてしまうことはありませんか。
たとえば、誰かに軽く言われた一言が、帰ってからも気になっている。
けれど「こんなことを気にする私が未熟なのだ」と、そこで話を終わらせてしまう。
すると、その言葉のどこが気になったのかも、実際に相手へ確かめたいことがあるのかも、置き去りになります。
自分を責めることに時間を使い、同じ場面でまた黙ってしまう。それでは、学びが暮らしに生きにくくなりますよね。
気持ちを認めたあとにも、選べる
腹が立ったから、相手が間違っていると決まるわけではありません。
ただ、相手に考えがあることと、自分に怒りがあることは、同時に成り立ちます。
感じたことを認めても、そのまま相手にぶつける必要はないのです。
聞き違いがあったなら確かめる。傷ついたことを伝える場合もある。今は話さず、時間を置くこともあるでしょう。
どうするかを考えるためにも、「気にしていません」という顔の下にある自分を、なかったことにしない。
無視していても、消えたわけではないですからね。
わたしは溜め込んで痛い思いをしたので、もう溜め込まないと決めています笑
学んだ言葉を、自分を知るために
「エゴ」という言葉だけで、自分の中にあるものが全部分かるわけではありません。
わたしが大切にしているのは、その言葉を知ったあと、実際の自分に目が向くことです。
穏やかに振る舞えなかった日も、何に反応したのかを知る入口にはなります。
そこで自分の未熟さに気づくこともあれば、言えずにいた思いが分かることもある。
学んでいるのだから、こんな自分であってはいけない。
そうやって締め出していた自分も、認識していく中に含まれています。
一日の終わりに「今日も私はだめだった」だけが残るより、気になったことを少し理解し、必要な話を翌日に持ち越せる。
そんなふうに、学びを自分の日常へ戻していくのです。






