好きな人と一緒にいるのに、帰り道で少し寂しくなる。
楽しくなかったわけではない。でも、今日も自分の話はあまりしなかった。
会う場所も、過ごし方も、相手の希望を聞いて決める。
「何でもいいよ」と言ったけれど、本当は話したかったことがあった。
そんなとき、「もっと愛されれば、この寂しさはなくなる」と思うことはありませんか。
そこには、自分の話をできなかった寂しさも重なっているのかもしれません。
も く じ
Toggle相手に合わせるとき、自分はどう感じているか
相手の好きなことを一緒に楽しむ。それ自体は、うれしい時間ですよね。
ただ、違うことを言ったら面倒だと思われそうで、口をつぐんでいるなら。そこには、楽しさとは別の気持ちがあります。
一緒にいて楽しかった。
でも、もう少し自分の話も聞いてほしかった。
楽しかったことと、寂しさが残ったこと。その両方が、自分の気持ちですよね。
わたしが自己認識を大切にしているのも、こうした自分の内側を、自分で分かるようになるためです。
「合わせられる私」でいようとして、寂しい自分を置き去りにしていないか。
相手の気持ちを考える時間はたくさんあるのに、自分がどう過ごしたかったかは、後回しになっていないでしょうか。
自分を知ってもらう余地を残す
何も言わずに合わせていれば、意見の違いは表に出にくくなります。
その一方で、お互いの希望を知り、二人で考える機会も少なくなってしまう。
「私はこうしたい」と伝えることは、相手を思いどおりに動かすこととは違います。
相手にも希望があって、話してみて初めて分かることがありますから。
もちろん、伝えれば必ず受け止めてもらえるわけではありません。
その応答も含めて、自分がこの関係でどう生きたいのかを考えていけます。
目指したいのは、意見の違いが一つもない二人でしょうか。
それとも、違いがあっても、自分の言葉で話せる関係でしょうか。
次に会うとき、自分の話したいことも会話の中にある。
二人の時間を、自分も一緒につくっている。
そんな関係を望む気持ちまで、わがままにしなくていいのです。






