人生の後半で、強く心が動く人に出会った。
ツインレイという言葉を知り、この出会いには意味があるのかもしれないと感じた。
けれど、自分には夫がいる。
このまま一緒に暮らしていくのか。それとも、別れるのか。
そんな相談を受けてきました。
話を聞いていくと、その人に出会う前から、夫への愛情が薄れていたり、今の暮らしに違和感があったりすることもあります。
新しい人が現れたから、突然すべてが変わったというよりも。
それまで何とかやり過ごしていた自分の気持ちを、もう見過ごせなくなったのかもしれません。
ここで、相手と夫のどちらを選ぶかだけを考えていると、置き去りになる問いがあります。
自分は、これからどんな人生を生きたいのか、ということです。
も く じ
Toggleその暮らしには、誰の望みが入っていたのか
妻なのだから、母なのだから、家族を優先する。
女性なのだから、少しくらいは我慢する。
自分が合わせていれば、丸く収まる。
誰かと明確に約束したわけでもないのに、そうすることが当たり前になっている。
夫婦の間にも、言葉にされない役割や期待があります。
その形が二人に合っている間はよくても、自分の気持ちが変わったあとまで同じ役割を続けていれば、しんどくなることがあります。
頼られることで、自分の居場所を確かめる。
相手も、その役割を担ってくれる自分を頼りにする。
お互いに必要とし合っているけれど、その関係を保つために、言えないことが増えていく。
そんな結びつきになることもあるのです。
それを長く続けてきた人ほど、「私は本当はどうしたい?」と聞かれても、すぐには答えが出ないかもしれません。
これまで、家族がどうしたいかは考えてきた。
でも、自分の望みは、いつもそのあとだったのですから。
慣れていることと、満たされていること
苦しいなら、離れればいい。
そう簡単に決められるなら、悩まないですよね。
今の暮らしには、積み重ねた時間があります。
家族としての情もあれば、収入や住まい、子どもなど、現実の事情もあります。
そして、満たされていなくても、慣れた暮らしには分かることが多いのです。
自分が何をすればよいかも、何を言えば相手がどう反応するかも、ある程度は分かっている。
いわゆるコンフォートゾーンも、必ずしも幸せで快適な場所とは限りません。
不満があっても、慣れているから離れにくい場所でもあるのです。
人生後半になり、「この先も、ずっとこうなのか」と考えたとき。
それまで飲み込めていたことが、もう飲み込めなくなることがあります。
その違和感は、今まで続けてきた暮らしと、今の自分の望みが合わなくなっていることを知るきっかけにもなります。
誰かに惹かれた自分を、善悪だけで片づけない
結婚しているのだから、ほかの人を好きになってはいけない。
そう考えて、気持ちが生まれた自分を責める人もいます。
けれど、「こんなことを感じる私は悪い」で終わらせると、その気持ちを通して見えてきたものまで、分からないままになります。
人との出会いが鏡となって、自分一人では気づけなかった思いが浮かび上がることがあります。
無意識を意識化する入口は、そうした現実の関わりの中にもあるのです。
もちろん、気持ちが生まれたことと、その先にどう行動するかは別です。
相手にも意思や暮らしがあり、自分にも、これまで交わしてきた約束や生活があります。
自分の気持ちを認めることは、それらを無視することではありません。
何を感じているのかが分かるからこそ、現実も含めて考えられるようになるのです。
その出会いが、自分へ還るきっかけになる
夫と別れるのか、今の暮らしを続けるのか。
決められないときには、違う思いや現実の事情が、いくつも重なっていることがあります。
その中で、自分が何を感じ、どう生きたいのかを認識していく。すると、ただ我慢するか、勢いで離れるかだけではなかった選択が見えてきます。
私は、こうした出会いが、本来の自分を取り戻すきっかけになることもあると捉えています。
相手との未来をどうするかより先に、自分自身の人生が、ここから動き始めることもあるのです。







